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ギャランVR-4 — WRC6勝とランサーエボリューションを生んだ技術の系譜
モデル4,490字

ギャランVR-4 — WRC6勝とランサーエボリューションを生んだ技術の系譜

ランサーエボリューションが生まれる前、三菱のWRCマシンはフルサイズセダンだった。ギャランVR-4が切り拓いた4G63ターボと4WD技術、そして篠塚建次郎が刻んだ日本人初のWRC優勝。語られることの少ない「父」の記録を振り返る。

ランサーエボリューションが生まれる前、三菱のラリーカーは全長4,560ミリのフルサイズセダンだった。その名をギャランVR-4という。エボの陰に隠れて語られることは少ないが、4G63エンジンも、フルタイム4WDも、「日本人初のWRC優勝」という金字塔も、すべてこのセダンが先に切り拓いた。ランエボの源流は、ここにある。

1987年、「4」が揃った日

1987年10月、三菱は6代目ギャランの頂点モデルとして「VR-4」を発表した。「4」は4つの先進技術を統合したシステムを指す。三菱はこれを「ACTIVE FOUR(アクティブ・フォー)」と名付けた。

その中身は当時のセダン界では異例のものだった。4バルブDOHCターボエンジン(4G63型)、フルタイム4輪駆動(4WD)、4輪操舵(4WS)、4輪独立懸架(4IS)、そして4輪アンチロックブレーキ(4ABS)——5つの「4」を一台に統合した車は、当時の国産セダン市場にほぼ存在しなかった。

エンジン単体の最高出力は205PS、最大トルクは294Nm。数値だけ見れば驚くには値しないかもしれない。しかし重要なのはスペックよりも、三菱がこのセダンをWRC(世界ラリー選手権)で戦うための器として設計していたという事実だ。新車価格273万6,000円。バブル景気が加速していた日本市場に、VR-4は異質なほどの本気度を持って現れた。

グループA規定という舞台

WRCは1987年から「グループA」規定を採用した。前年まで採用されていたグループBは「200台製造すれば大幅な改造が許可される」というレギュレーションで、メーカー各社が市販車を逸脱した怪物マシンを投入した。その結果として深刻な死亡事故が相次いだため、規定は廃止された。

代わりに設けられたグループAは「年間2,500台以上生産した市販車をベースにする」という制約を課し、改造範囲を大幅に絞った。これはつまり、ルールが市販車の基礎性能をそのまま競技力に結びつける構造に変わったことを意味する。

三菱はこの転換を機と捉えた。VR-4はグループAのホモロゲーション(均一性認定)を取得するために年間2,500台以上を量産する必要があり、実際にそれをクリアして開発は進んだ。グループA規定下のWRC仕様エンジンは290PSを超える出力を発揮した——制約の多い規定の中でも、4G63はデビュー当初からその可能性を示していた。

WRCデビュー(1988年)

1988年7月、ニュージーランド・ラリーでギャランVR-4はWRCに初参戦した。セミワークスチームから出場したのは篠塚建次郎(しのづか けんじろう)。後に「日本人初のWRC優勝ドライバー」となる人物だが、この時点ではまだデビュー戦だった。

三菱はこの年、イギリス中部の都市ラグビーを拠点に設立した「ラリーアートヨーロッパ」を通じたワークス体制も並行して整備した。初年度は勝利なし。グループAの厳しい制約の中でセットアップを積み重ね、競争力の土台を作ることに費やした年だった。

三菱ギャランVR-4 WRC参戦シーン(1988-1992)— 三菱自動車公式モータースポーツ史ページより
出典: 三菱自動車

1989年 — 2勝という証明

転機は翌1989年に訪れた。三菱は1981年のWRCドライバーズチャンピオンであるフィンランド人のアリ・バタネンをワークスチームのエースに据え、欧州ラウンドへの本格参戦体制を整えた。

その年、高速グラベルステージで知られるフィンランドの1000湖ラリー——現在のラリー・フィンランドの前身——でミカエル・エリクソンが優勝。参戦3戦目での優勝だった。続いてシーズン最終戦として長らく行われてきたイギリスの伝統あるRACラリーでは、ペンティ・アイリッカラがトップでゴール。参戦4戦中2勝という結果で1989年シーズンを終えた。

「4,500ミリ超えのセダンがWRCで勝てるはずがない」——そういった見方を、数字が覆した。1990年にはメーカー部門の年間総合成績であるメーカーズチャンピオンシップで3位を獲得し、三菱が世界のラリーシーンで確かな地位を確立した。

1991年10月 — アフリカの赤土の上で

VR-4の最大の輝きは、1991年10月に刻まれた。

赤土と岩石が混じり合う過酷な道を何百キロも走り続ける長距離ラリーとして知られた、西アフリカ・コートジボワールで行われたラリー・コートジボワールで、篠塚建次郎がトップでフィニッシュした。2位の選手に2時間以上の差をつける圧勝だった。

日本人ドライバーによるWRC史上初の優勝——その事実が、世界に刻まれた。

篠塚は翌1992年も同じラリーで制し、連覇を達成する。この2勝も含め、ギャランVR-4はWRCで通算6勝を積み上げた。

この成功の裏側には、エンジンの力だけでは語れないものがあった。「人間の直感で感じられる4WDとはどうあるべきか」——その問いを軸に、三菱のエンジニアたちはラリーの現場でセットアップの知見を積み重ねていた。アフリカの路面に対応できたのは、出力ではなくシステム全体の熟成があったからだ。

ギャランが突き当たった壁

しかし、それでもVR-4は壁に突き当たりつつあった。

全長4,560ミリ、車重1,360キロ。ギャランは大きく、重かった。1990年代に向けてWRCへの参戦を強化してきたスバル(レガシィRSからインプレッサへ移行)やトヨタ(セリカGT-FOUR)と比較したとき、サイズの差は直接ハンドリング特性と軽量化の余地に影響した。大型セダンが持つ慣性は、タイトなラリーステージでは不利に働く。

1989年ごろ、三菱社内では次のWRC参戦車両をめぐる議論が始まった。候補は7代目ギャランのVR-4と、4代目ランサーの1800GSR。ランサーに4G63を積もうとすると、そもそもエンジンが大きすぎるという意見もあった。当初の社内の天秤はギャラン寄りだった。

転換点は、一部のエンジニアたちが社外でランサーベースのプロトタイプを自作し、上層部に直接持ち込んだことだった。「ギャランでは勝てない、ランサーなら勝てる」という信念が形を持った。それがやがて正式な開発プロジェクトとして承認され、ランサーエボリューションの誕生につながる。

受け継がれたもの

1992年、ランサーエボリューションI(CE9A型)が生まれた。

その構造は、ギャランVR-4からの直系継承だった。

比較項目ギャランVR-4ランサーエボリューションI
全長4,560mm4,310mm
車重(市販仕様)約1,360kgGSR: 1,240kg / RS: 1,170kg
エンジン4G63ターボ4G63ターボ(同型)
駆動方式フルタイム4WDフルタイム4WD

エンジンはそのまま。4WDの哲学もそのまま。ただし、器が250ミリ短く、最軽量で190キロ軽くなった。この差が、WRCでの次のステージへの扉を開いた。

ランサーエボリューションも、グループAのホモロゲーションのために2,500台の市販版を用意する義務を負っていた。ギャランVR-4と同じ理由で、市販車の形をとった競技車両として設計されていた。

VR-4で培ったフルタイム4WDの制御ノウハウは、後にACD(アクティブセンターデフ)、AYC(アクティブヨーコントロール)へと進化し、現代の三菱アウトランダーPHEVに搭載されるS-AWC(スーパーオールホイールコントロール)まで途切れることなく連続している。技術とは、こういうふうに引き継がれていく。

ギャランVR-4(左)からランサーエボリューションI(右)への技術継承を表すイラスト

スペック(1989年式 2.0 VR-4 4WD MT)

項目
エンジン型式4G63(直4 DOHC ターボ)
排気量1,997cc
最高出力220PS / 6,000rpm
最大トルク294Nm / 3,000rpm
全長×全幅×全高4,560×1,695×1,440mm
ホイールベース2,600mm
車両重量1,360kg
駆動方式フルタイム4WD
トランスミッション5速MT

現在のギャランVR-4

国内の中古車市場に現在流通しているギャランVR-4(E-E39A型)は、平均5台ほどとされる。発売から35年以上が経過したセダンとして、これでも現存しているほうだろう。

それを維持するオーナーたちは、入手困難なパーツを探しながら、仲間と情報を共有しながら乗り続けている。ランエボのコミュニティほど大きく、目立つわけではない。しかし静かに、その場所に存在している。

ランサーエボリューションは今も世界中のクルマ好きに語り継がれる。だがエボが生まれた理由を作ったのは、このセダンだった。4G63が初めてWRCの実戦で息を吹き込まれたのは、このセダンの中だった。アフリカの赤土の上で日本人が初めてWRCの頂点に立ったのも、このセダンの上だった。

ギャランVR-4は静かだ。しかし芯に、確かな誇りがある。

ギャランVR-4の「VR-4」という名称は、その後も三菱の本気を示す記号として生き続けた。1990年に発売され、北米ではMitsubishi 3000GTの名で販売された三菱GTOの頂点グレードに「VR-4」バッジが採用され、V型6気筒ツインターボ+フルタイム4WDの高性能スポーツカーとして北米市場を席巻した。ギャランが「4WDとターボの統合」という哲学をセダンで示したように、3000GT VR-4はそれをスポーツカーで体現した。「VR-4」とは、三菱がただのバッジ以上の意味を込めた言葉だった。