日産ツル — B13サニーがメキシコで33年愛された理由と別れの記録
日本では誰も知らない日産車が、メキシコでは「国民車」だった。累計240万台以上を売り上げ、33年間走り続けた物語。
日本では誰も知らない日産車が、メキシコでは「国民車」だった。その名はTsuruこと ツル。日本語で「鶴」を意味するこのクルマは、B13型サニーをベースにしながら、本国では想像もつかない運命をたどった。累計240万台以上を売り上げ、メキシコの街角を33年間走り続けた1台の物語。
「鶴」という名の日産車
メキシコシティの通りを歩いたことがある人なら、あの白い小型セダンの群れに見覚えがあるかもしれない。タクシーの大半を占め、路地を縫うように走り回る姿は、この街の風景そのものだった。
その車の名は、日産ツル。日本語の「鶴」に由来する。
1984年、Nissan Mexicanaこと日産メキシコがクエルナバカのシバック工場で生産を開始した。ベースは日本市場のサニー、北米市場のセントラ。だが、メキシコでは独自の名を与えられた。鶴——長寿と幸運の象徴。この命名が、後にどれほど皮肉で、どれほど正確だったか、当時は誰も知らなかった。
3つの世代、33年の歩み
ツルには3つの世代がある。
| 世代 | 年式 | ベース | 生産台数 |
|---|---|---|---|
| Tsuru I | 1984〜1987年 | B11型サニー/セントラ | 約21万台 |
| Tsuru II | 1987〜1991年 | B12型サニー/セントラ | 約34万台 |
| Tsuru III | 1992〜2017年 | B13型サニー/セントラ | 約180万台 |
初代と2代目は、日本と同じくモデルチェンジのサイクルで世代交代した。転機は3代目だ。
1992年に登場したTsuru IIIは、B13型セントラをベースとする。1.6リッター直列4気筒GA16DNEエンジン、105PS、5速マニュアル。日本では1994年にB14型へ移行し、北米でもセントラは次世代に進んだ。
しかし、メキシコのツルだけは止まった。
正確に言えば、止まったのではなく、完成したのだ。B13型のまま、2017年5月まで——実に25年間、フルモデルチェンジなしで生産が続けられた。
なぜメキシコは、この車を手放さなかったのか
理由は複合的だが、核心はシンプルだ。ツルは「壊れても直せる車」だった。
メキシコの整備工場では、ツルの部品は常に在庫がある。エンジンの構造は町工場の技術者なら誰でも理解できる。電子制御は最小限。必要なのはレンチと経験だけだ。
価格も手の届く範囲にあった。新車でも10万ペソ台(日本円で約60〜70万円相当)。中古車市場ではさらに安く、メキシコの平均的な労働者が「初めてのマイカー」として選べる数少ない選択肢だった。
そしてタクシー業界が、ツルを決定的な存在に押し上げた。2003年にメキシコで「Vocho」の愛称で親しまれたフォルクスワーゲン・ビートルがプエブラ工場での生産を終了すると、メキシコのタクシーの主役はツルに交代した。狭い路地を機敏にすり抜けるコンパクトさ、低い維持費、そしてどこでも手に入る部品——タクシードライバーが求めるすべてを、ツルは持っていた。
1997年から2011年まで、実に14年間にわたり、ツルはメキシコで最も売れた車だった。累計販売台数は全世代で240万台を超える。

光と影——0つ星の現実
だが、25年間変わらないということは、25年間進化しないということでもある。
2013年、Latin NCAPがエアバッグ非搭載のB13型ツルを対象に衝突試験を実施した。結果は、成人乗員保護 0つ星、子供乗員保護 0つ星。
0つ星。文字通り、星がひとつもつかなかった。
2016年11月、世界に議論を呼ぶ映像が配信された。米国の道路安全保険協会IIHS施設で、2015年型ツルと、北米向けの2016年型ヴァーサとの正面オフセット衝突試験が行われたのだ。同じ日産のエンブレムを掲げる2台が、激突する。
結果は残酷なまでに明白だった。ヴァーサ側は現代的なセーフティケージが機能し、前面・側面エアバッグが展開。キャビンの変形はなかった。一方のツルは、車体構造が完全に崩壊した。生存空間が潰れ、ダミーの顔面がステアリングに激突した。
この映像は、同じメーカーが先進国と新興国で全く異なる安全基準の車を販売する「ダブルスタンダード」の象徴として、世界中のメディアで報じられた。
Latin NCAPの報告によれば、2007年から2012年の間に、ツルが関与した事故で4,102人が命を落としている。
「ブエン・カミーノ」——良い旅を
2016年10月、衝突試験映像の公開を前に、日産は生産終了を発表した。メキシコ政府による新たな自動車安全基準(NOM-194)の導入も背景にあった。
2017年2月、日産メキシコは最後の記念モデル Tsuru Buen Caminoこと「ツル・ブエン・カミーノ」 を発売した。「ブエン・カミーノ」はスペイン語で「良い旅を」。別れの挨拶だ。
限定1,000台。メタリックブルーの専用色アスール・オリオンをまとい、記念プレートが添えられた。価格は172,500ペソ(当時のレートで約100万円)。決して安くはないが、33年の歴史に別れを告げるにはささやかな値段だった。
日産メキシコは声明の中でこう述べている。
「メキシコ人の大多数が、日産ツルと何らかの思い出で結ばれている。」
初めてのマイカー、家族旅行の足、毎朝乗るタクシー、夜道で拾った帰り道——ツルは、メキシコの日常そのものだった。
2017年5月、シバック工場のラインが止まった。B13型ツルの33年にわたる生産は、静かに幕を閉じた。
日本が知らない、日本車の別の顔
2025年末、Hot Wheelsがメキシコ限定で1991年型ツルのタクシー仕様をミニカー化した。限定3,500台は即座に話題となり、メキシコのSNSで開封動画が拡散された。生産終了から8年。ツルはもう走っていないが、メキシコ人の記憶からは消えていない。
日本でツルの名を知る人はほとんどいない。B13型サニーが25年間作られ続けたこと、累計240万台以上がメキシコの道を走ったこと、その生産終了に国民が別れを惜しんだこと——これらは、日本のカーメディアでもほぼ語られない。
しかし、ツルの物語は単なる「海外の珍しい日本車」の話ではない。
ひとつのクルマが、ある国の移動を支え、景色の一部になり、人々の記憶に織り込まれていく。安全性の問題は深刻だったし、生産終了は正しい判断だった。それでも、240万人以上のオーナーがこのクルマと過ごした時間は消えない。
日産のエンジニアたちが1990年代初頭に設計したB13型は、日本では数年で役目を終えた「普通のサニー」だった。だが海の向こうでは、33年間にわたり、ひとつの国の暮らしを動かし続けた。
設計者たちは、きっと知らなかっただろう。自分たちの作ったクルマが、遠い国で「鶴」と呼ばれ、国民車になることを。
ツルはメキシコで最も愛された車であると同時に、最も盗まれた車でもあった。部品の需要があまりにも高く、2019年時点でも年間約4,300件の盗難が報告されている。生産終了後も減らなかったこの数字は、皮肉にもツルがメキシコにどれほど深く根を下ろしていたかを物語っている。


