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勝田貴元がWRC初優勝——日本人ドライバーとして34年ぶり
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勝田貴元がWRC初優勝——日本人ドライバーとして34年ぶり

2026年3月15日、WRC第3戦サファリ・ラリー・ケニア。勝田貴元がWRC初優勝を果たした。日本人ドライバーのWRC総合優勝は1992年の篠塚建次郎以来34年ぶり。Day 1の通信断絶、Day 2のダブルパンクを乗り越えた4日間のドラマ。

ケニアの大地に、日本語の歓声が響いた。2026年3月15日、WRC(世界ラリー選手権)第3戦『サファリ・ラリー・ケニア』。勝田貴元がコドライバーのアーロン・ジョンストンとともに、日本人ドライバーとしては1992年の篠塚建次郎以来44年ぶりとなるWRC総合優勝を達成した。

タイヤとシャシーに過酷な要求を突きつけることで知られるサファリ。その4日間に詰まったドラマを振り返る。

勝田貴元/アーロン・ジョンストン組、サファリ・ラリー・ケニア2026 優勝・表彰台シーン
出典: TOYOTA GAZOO Racing

通信が断絶した初日——ペースノートなしで走った

Day 1、スタート直前に異変が起きた。勝田とジョンストンの無線通信が突然途絶えた。コドライバーが読み上げるペースノートが届かない状態でのスタートを余儀なくされた。

記念すべきはずのステージが、苦境から始まった。それでも勝田は止まらなかった。「スタートの直前にアーロンとのコネクションが途絶えてしまい、ペースノートなしでの走行となりました。非常に困難な状況でしたが全力で走りました」——その言葉通り、総各4位でDay 1を終える。

翌Day 2はさらに厳しかった。午後のステージでダブルパンクチャーを喫し、スペアタイヤが底をついた。荒れた路面を傷ついたタイヤで走り続け、順位は7位まで後退する。「明日は何が起こるかわかりません。ドラマが起こることを期待しています」——この言葉には諦めではなく、準備の意志があった。

Day 3——泥がドラマを呼んだ

転機は、泥がもたらした。

Day 3、上位勢を走るライバルたちのマシンに異変が相次いだ。ステージ間の連絡路であるリエゾンでオリバー・ソルベルグとセバスチャン・オジエが停車した。ステージ上の泥がオルタネーター内に侵入し、バッテリーへの充電が停止。事実上の競技不能に追い込まれた。さらにエルフィン・エバンスもサスペンション破損でリタイアした。

首位に立った勝田は「午後は状況を上手くコントロールし、全ての岩を避けることに全力を注ぎました」と語る。慎重さではなく、確実さ——それが彼の走り方だった。Day 3を終えた時点で、2位のアドリアン・フォルモー(ヒョンデ)に対して1分1.5秒のリードを築いた。

トヨタ GR YARIS Rally1(18号車・勝田貴元組)のステージ走行シーン
出典: TOYOTA GAZOO Racing

Day 4——1分25.5秒のリードを守り切る

最終日は4本のステージ(合計57.40km)。勝田は確実性を最優先で臨んだ。最終パワーステージは9番手タイム。速さより完走。トヨタ GR YARIS Rally1を壊さず、傷めず、フィニッシュに運ぶことだけを考えた。

フィニッシュラインを通過した瞬間、27.4秒のリードを保ったまま総合1位が確定した。

「フィニッシュラインを通過した時の気持ちは、とにかくクレイジーでした。これまで本当に多くの困難な瞬間を経験してきたので、それらの記憶が頭の中を駆け巡りました。アーロンとチームの信頼に感謝します」

その声に、10年分の重みがあった。

出典: TOYOTA GAZOO Racing
順位ドライバーメーカータイム差
1勝田貴元 / アーロン・ジョンストントヨタ3h16m05.6s
2アドリアン・フォルモー / アレクサンドレ・コリアヒョンデ+27.4s
3サミ・パヤリ / マルコ・サルミネントヨタ+4m26.1s

34年という空白——篠塚建次郎からのバトン

ケニアのサバンナを背景に、ラリーカーが赤土の荒野を走る情景のフラットイラスト

日本人ドライバーのWRC総合優勝が34年ぶりとは、どういうことか。

1991年と1992年、篠塚建次郎が三菱 ギャランVR-4を駆り、コートジボワールラリー(現在はカレンダーに存在しないアフリカのラリー)を連覇した。それが日本人によるWRC最後の優勝だった。以来44年、日本人がWRCのトップに立てなかった。

その間、日本のラリードライバーたちが何もしなかったわけではない。何人もの才能が世界を目指し、表彰台を争い、傷を負い、それでも挑み続けた。

勝田はその長い列の一人として——今のところ、頂点に到達した人物として——歴史に名前を刻んだ。

豊田章男会長はこう語っている。「世界で勝てる日本人ラリードライバーが日本の子供たちの憧れになることを願っていました。この勝利は若者たちへの大きなプレゼントです」

勝田貴元という人物——フォーミュラからラリーへ

1993年3月17日、愛知県長久手市生まれ。11歳でカートを始め、やがてフォーミュラの世界へ進んだ。FCJ(フォーミュラ・チャレンジ・ジャパン)でのチャンピオン経験を経て、全日本F3では2013年シリーズ2位を記録した。

開かれているはずのフォーミュラのキャリアから、2015年にトヨタGAZOO Racingのラリーチャレンジプログラムへの参加を選んだ。その転身は、小さな賭けではなかった。

WRC2でのスポット参戦を経て、2019年にはWRカーでトップカテゴリーデビューを果たす。2021年からは日本人として初めてWRCフル参戦を開始した。そのシーズンのサファリ・ラリー・ケニアで初の表彰台を獲得している——今回の優勝と、同じ舞台で。

2025年はスウェーデンとフィンランドで2位入賞を果たし、初優勝への機運が高まっていた。そして2026年のサファリで、長年の夢が現実になった。

アーロン・ジョンストンとの5年——信頼が積み上げられた日々

アイルランド出身で1995年生まれのアーロン・ジョンストンが勝田の助手席に座るようになったのは、2021年のラリー・フィンランドだった。当時のコドライバーだったダニエル・バリットが負傷し、代役として拜擢されたのがジョンストンだった。

縁は偶然だった。しかし、そこから約5年、このコンビは世界中のダートを駆け抜けてきた。

Day 1の通信トラブルでも二人は走り続け、Day 2のダブルパンクチャーでもリズムを崩さず、Day 3・4で頂点を目指した。アイルランドの地元メディアは「アイリッシュのコドライバーが日本人ドライバーの歴史的な勝利を支えた」と報じた。

勝田のコメントの締めくくりは「アーロンとチームの信頼に感謝します」だった。

サファリが最も過酷な理由

WRCのラウンドとして、サファリはなぜ特別なのか。

ケニア・レイク・ナイバシャ周辺の火山性地形を走るこのラリーは、深いわだち、フェッシュフェッシュと呼ばれる粉砂、剥き出しの岩が路面を形成する。1日の中で天候が急変し、ドライとウェットが入り乱れる。マシンは繰り返す衝撃に耐え続けなければならない。

2026年大会は「2021年のWRCカレンダー復活以降で最も過酷な大会」と評された。大雨が路面を覆い、泥が機械の内部を蝕んだ。ソルベルグもオジエも競技不能となる中で、勝田組は生き残った。

TGR-WRT(トヨタ GAZOO Racing世界ラリーチーム)の代表代行を務めるユハ・カンクネンはこう語る。「サファリは41年前の私の初優勝地でもある。最も過酷なイベントでの優勝は、特別な意味を持つ」

カンクネンは1985年にサファリで初勝利を挙げた、WRCチャンピオン4回の名手だ。そのフィンランドの名将が認める「最高に過酷な舞台」で、日本人が頂点に立った。

なお、トヨタはサファリがWRCカレンダーに加わった2021年以降、今大会で6連勝(6戦全勝)となった。

選手権の行方

今大会の優勝で、勝田はドライバーズ選手権3位(55ポイント)に位置する。首位はエルフィン・エバンス(66ポイント)、2位はオリバー・ソルベルグ(58ポイント)。マニュファクチャラーズ選手権ではトヨタが157ポイントで首位を守る。

「最初で最後ではなく、これからもっと勝利を挙げていくつもりです」

その言葉を裏付ける素材は、揃ってきた。次戦は4月9日〜12日の開催都市がザグレブからリエカに変更されたクロアチア・ラリー。今度はアスファルトの舞台で、勝田組の2勝目がかかる。

順位ドライバーポイント
1エルフィン・エバンス66
2オリバー・ソルベルグ58
3勝田貴元55

サファリ・ラリーの原型は1953年に始まった「East African Safari Rally(東アフリカ・サファリ・ラリー)」だ。当初は砂漠・草原・山岳を数千kmにわたって横断する、文字通りのサバイバルレースだった。2002年を最後にWRCカレンダーから外れ、2021年に現代的な競技フォーマットで復帰。レイク・ナイバシャを拠点とするコンパクトな大会になった今も、「完走すること自体が結果」と語るドライバーは少なくない。今大会は大雨により2021年の復活以降で最も過酷な大会となり、勝田の優勝はその文脈でさらに重みを増している。