ムーンクラフトとは何だったのか——由良拓也が築いた空力の工房、東レ・カーボンマジックへ
2026年4月1日、ムーンクラフトが東レ・カーボンマジックに吸収合併される。由良拓也が1975年に設立し、GC選手権、ル・マン、SUPER GTの紫電で知られた空力の工房。半世紀の歩みを振り返る。
2026年4月1日、ムーンクラフト株式会社が法人として消滅する。東レ・カーボンマジック株式会社への吸収合併が、3月24日に発表された。1975年の創立から半世紀。静岡県御殿場市のこの小さな工房は、日本のモータースポーツに何を残したのか。

空気に魅せられた男
由良拓也氏は1951年、東京に生まれた。父の由良玲吉氏は工業デザイナーで、日本大学での教え子にはレーシングドライバーの生沢徹や本田宗一郎の長男・本田博俊がいた。幼少期から絵を描くことが好きだった由良氏は、父の背中を見ながら「ものの形を作る」という行為に自然と惹かれていった。
育英高等専門学校で転機が訪れる。のちにレーシングカーコンストラクター・童夢を設立する林みのる氏との出会いだ。ここからレーシングカー製作の世界に足を踏み入れた由良氏は、1972年、21歳でフォーミュラカーのデザインを手がけるようになる。
自動車の運転も好きだった。だが、レーサーとしての素質はないと早々に見切りをつけた。自分が戦う場所はコックピットではなく、図面の上だ。そう決めた由良氏は1975年、23歳でムーンクラフトを設立する。プレハブの社屋から始まった、レーシングカー専門のデザイン会社だった。
御殿場の風洞——MCSが制したGC選手権
設立当初のムーンクラフトは、マーチやブラバムといった海外製シャシーの改造から仕事を始めた。しかし由良氏の志向は一貫していた。自分たちのオリジナルマシンを走らせること。そして「空気の力」でクルマを速くすることだ。
1974年に自社ブランド「NOVA」シリーズのフォーミュラカーを生み出し、1980年には富士グランチャンピオンレース向けのMCSシリーズを投入する。当時、空力という概念を体系的にレーシングカーに持ち込むコンストラクターは日本では稀だった。由良氏は「空気が読める男」と呼ばれるようになる。
1986年、ムーンクラフトは御殿場市内の新社屋に風洞実験設備を導入した。回流式の小型風洞で、自社設計・自社製作。吹出し口は幅1.0m、高さ0.7m。最大風速40m/sのこの設備が、ムーンクラフトの技術を次の段階へ引き上げた。
風洞を駆使して開発されたMCSシリーズは、GC選手権で圧倒的なシェアを獲得する。由良氏が形にした空力パッケージは、データに裏打ちされた再現性のある速さだった。
ル・マンの空を切る——マツダ717Cの空力デザイン
ムーンクラフトの名がル・マン24時間レースの歴史に刻まれたのは1983年のことだ。マツダのCカーである717Cのボディデザインを由良氏が担当した。
注目すべきは、この時点でムーンクラフトにはまだ風洞がなかったことだ。由良氏は自らの空力感覚と理論計算で、リアのホイールハウスをフルカバーする低抵抗ボディを設計。CD値はコンマ3を切った。丸みを帯びた独特のシルエットは、空気抵抗を削ぎ落とした結果として生まれたものだった。
717Cはル・マンでクラス優勝を果たし、日本車としての快挙を記録する。この成功が727C、737Cへと続くマツダのル・マンマシン開発の礎となった。そして1991年、マツダ787Bがル・マンで日本車唯一の総合優勝を達成する。その原点には、ムーンクラフトが空力を磨いた717Cがあった。
F3000とその先——鈴木亜久里、片山右京、デーモン・ヒル
1985年、ムーンクラフトは自社レーシングチームを結成し、コンストラクターとしてだけでなくチーム運営者としてもレースに参加するようになった。
1987年に発表したオリジナルF3000マシン「MC030」は、フットワークのF1参入構想における第1弾として位置づけられた。翌1988年、このマシンで全日本F3000選手権に参戦した鈴木亜久里がシリーズチャンピオンを獲得する。
1989年にはヨーロッパF3000選手権にも挑戦。起用したドライバーの中には片山右京、そしてのちにF1ワールドチャンピオンとなるデーモン・ヒルの名前があった。小さな御殿場の工房が、世界のトップドライバーと直接つながっていた。
もうひとつの顔——ヤマハOX99-11からセナのヘルメットまで
ムーンクラフトの仕事はレーシングカーだけにとどまらなかった。1992年、ヤマハが開発したV12エンジン搭載のスーパースポーツカーOX99-11のデザインを手がけている。センタードライブレイアウトを採用したこのマシンは、市販には至らなかったものの、由良氏のデザイン能力がフォーミュラやプロトタイプの枠を超えていたことを示している。
1991年にはショウエイのヘルメット「X-1」を設計した。アイルトン・セナのために開発されたモデルだ。レーシングカーデザイナーがヘルメットの空力を手がけるという発想自体が、由良氏の特異な立ち位置を物語る。
さらにはタミヤのラジコンカー「ビッグウイッグ」、SEIKOの腕時計、トミーカイラZZのボディデザイン、プリウスの空力改善プロジェクト「AEROPRIUS」、カーボンファイバー製のカヤック、電動自転車に至るまで。「空気の力で速くする」「軽く、強く作る」という核となる技術を、由良氏はあらゆる分野に展開し続けた。
紫電——GT300を駆けたオリジナルマシン
2006年、ムーンクラフトはSUPER GT GT300クラスにオリジナルマシン「紫電」で参戦を開始した。Cars Tokai Dream28とのジョイントで臨んだ初年度から、シリーズ2位という結果を残す。翌2007年にはクラスチャンピオンを獲得した。
紫電という名は、1977年に由良氏が手がけたクローズドボディのGCマシンに遡る。最高速度を追求するために空気抵抗を徹底的に削った初代紫電の思想は、約30年後のSUPER GTマシンにも受け継がれていた。
GT300クラスは海外メーカーのGT3マシンが主流のカテゴリーだ。その中でムーンクラフトが独自に設計・製作したオリジナルマシンが、7年にわたりトップグループで戦い続けた事実は特筆に値する。2012年のJAF GP富士スプリントカップを最後に紫電はレースを退いたが、ムーンクラフトはその後もロータス エヴォーラをベースとしたGT300マシンのエンジニアリングサポートを続け、2020年の富士、2021年のもてぎで勝利を重ねた。
東レグループへ——そして吸収合併
ムーンクラフトと東レ・カーボンマジックの関係は、2018年11月に始まった。由良氏が保有していたムーンクラフトの全株式を東レ・カーボンマジックが取得し、ムーンクラフトは同社の完全子会社となった。
東レ・カーボンマジック(以下TCM)は、2001年に「童夢カーボンマジック」として設立された炭素繊維強化プラスチック(CFRP)の専門企業だ。2013年に東レが全株式を取得して社名を変更。現在はSUPER GT GT500車両のモノコックやFIA F4車両の製造を手がけ、航空宇宙分野でもボーイングの認定サプライヤーとなっている。炭素繊維で世界トップシェアを持つ東レグループの中で、CFRP製品の設計から量産までを担う中核企業だ。
2026年3月24日、ムーンクラフトの取締役社長である由良氏の署名でプレスリリースが発行された。4月1日付でTCMを存続会社、ムーンクラフトを消滅会社とする吸収合併を行うという内容だ。
合併の目的は明確に記されている。TCMが持つ材料、開発、量産、品質領域の知見と、ムーンクラフトの試作、空力、設計技術を融合し、開発力をさらに高めること。ムーンクラフトの事業は御殿場の拠点ごとTCMに引き継がれ、取引先との契約関係も承継される。
由良氏自身は合併に伴い役員を退任する。TCMの役員や従業員にはならない。ただし、別会社を通じてTCMとの業務委託契約を結び、これまでの経験と知見を活かした支援を続けるとしている。
消えるのは法人格だけだ
ムーンクラフト株式会社という名前は消える。だが、由良拓也氏が半世紀かけて磨いた空力技術と設計思想は、東レ・カーボンマジックの中に残る。素材の知見と空力のノウハウが融合した先に、これまでのどちらの会社単独でも到達できなかった領域が見えているのだろう。
GCマシンからル・マンのCカー、F3000、SUPER GTの紫電、そしてヘルメットやカヤックに至るまで。「空気の力で速くする」という一貫した哲学が、御殿場の小さな工房から50年間にわたって発信され続けてきた。その事実そのものが、日本のクルマ文化における一つの財産だ。


